伝統とロマンがたたずむまち 大内宿

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  ◆ 由 来

   大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。

   南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
 また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。

   更に遡って山本村から大内と改められた経緯は、後白河天皇第3皇子の(第2王子) 高倉以仁王は、平家物語では1180年源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼って逃亡した。
その途中、当時の山本村(現在の大内宿)に逗留され「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」と詠い、この里が宮中の大内(だいり)によく似ているため大内と改めたといわれる。

   王子を高倉大明神として観請し明治3年5月18日高倉神社と改めて今も尚 村の鎮守として祭られています。

 

 ◆  国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されるまでの経緯

   昭和42年 会津茅職人の調査に訪れた武蔵野美術大学の相沢教授(当時学生)が強く保存の必要を村に訴えたましたが、村は賛成と反対との意見に2分されました。

しかし、相沢教授の熱心な説得と当時の大塚実町長が時間をかけて説得に当たり昭和50年文化財保護法の改正を経て、
昭和56年4月18日 重要伝統的建造物群の指定を受けることに至りました。

 

 ◆  現 在

   通年を通し約120万人の観光客が訪れるようになった今は殆どの家でお土産店または蕎麦屋等の店へと変わり、農業から観光産業へと完全に切り替わってきました。

   この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。

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